はろーはろー。
ハッカの感想をどこから書けばいいのか分からず、白紙のプロットを蹴飛ばしてそのまま走り出したような気分です。こんばんは。こんにちは。
えーと。
前回の初めまして記事で、なかみーのファンになった経緯をざっと垂れ流した訳なんですけれども、先日、そのなかみーこと中三川雄介さんが主演を務めた舞台の幕が無事におりました。脚本・演出は岡本セキユさん。
今回は、この作品に対して感じたことを私なりの言葉に纏めたいと思います。纏まるとは言ってません。
ハダカハレンチ 第4回 本公演「ハッカ」
とある劇団の疾走と終末、その往生際の話
2019.5.31 - 6.4 花まる学習会王子小劇場にて
ハダカハレンチ様のホームページはこちら https://hadakaharenchi.wixsite.com/hdaka-harenchi
“見出し”という装飾を履き違えてる気がするけど、まあ許せ。表現は自由だ。なんとなく伝われ。
Androidからの編集じゃ文字のサイズを変えられない。パソコンはもう、死んでいる。
※以下、あくまでも個人的な解釈、主観的感想がたくさん含まれます。暖かい目で読んで頂けると幸いです。
まず、こちらの情報が解禁された時、めちゃめちゃそれはもうめちゃめちゃ喜びました。
仕事終わりにツイッター見て「新しい舞台!?やったあああああ!!!」とうっすら1人で泣いたくらいには喜んだんですけど、そんな泣くほど喜んだ理由は割愛します。恥ずかしいので。
とにかく推しの新しい情報解禁がとても嬉しかった。
ただ、前記事にも書いた通り、私は小劇場や劇団界隈にそこまで馴染みがなかったので、だんだんと不安にもなりました。まあ・・・劇団や規模に関わらず、原作を知らない2.5やら知らない演出家さんだったりすると多少なりとも不安になるんですけどね。
その不安というのも、なんというか、その対象が悪い印象だとかネガティブな意味ではなく、知らない世界に足を踏み入れる勇気!未知への挑戦!それに伴う少しの不安!みたいな。
演出家さんや劇団、もっと広く言えば「クリエイター」ってそれぞれの個性、特色があるじゃないですか。それが「自分の感性とマッチするだろうか」「その世界を楽しめるだろうか」「苦手ではないだろうか」・・・そんな不安が生まれたわけです。
ましてや自分は小劇場初心者。いまいち勝手が分かっていないというのも不安の1つでした。
結論から言います。
杞憂でした。
不安だと思っていたそれは、やわらかな防衛服を纏った優しい杞憂でした。
・・・ごめんうっかり二次創作モードに入りそうだった。文学って何。
つまり、とても好みな世界だったんです。
私は「言葉」というものが昔から好きで、あらゆる本を読んだとか読書家とかでは無いのだけれど、言葉というものに重きを置くタイプでして。
だから、敢えて言います。
セキユさんが紡ぐ言葉が好きなんだろうなあ。
この「ハッカ」という作品は、上記にもある通り、とある劇団の話です。
でも個人的には「とある劇作家の話」だと感じました。スランプに陥った作家と彼を取り巻く人達の話。
中三川さん演じる“三軒茶ヤスヲ”が主宰する劇団ハッカ。
学生劇団として産声を上げた彼らは、少なからず成功している劇団と呼べるものだったと思う。ファンがつき、賞をとり、カルト的な人気を集め、ヤスヲは大手のCMの脚本を手掛けるまでには成功していた。成功してしまっていた。
大きな仕事を成功させる、人気を手に入れる、ということは誇れる事だけど、多分それと同時に大きな期待を背負わなくてはいけない。
それで息苦しいと感じる時があるのも事実だと思う。
私はいわゆる“そっち側”の人間ではなく、大した成功を味わったことも無い、なんとなく生きて、ただ趣味の一つとして観劇を嗜んでいる一般人だけど、ヤスヲくんはまるで自分を見ているようだった。
・・・・・・んだけど、正直、初見の感想は
「よく分からん!(けどなんかいい)」
でした。
あ、ごめん今でもそう。
この公演では、初日の初ステ前に“公開ゲネプロ”なるものが実施されるとの事で「ゲネプロ!体験してみたい!」とビビリのクセしてソッコーで予約ぶちかましたんですけど(度胸があるんだか無いんだか)とても新鮮でした。
ハダカハレンチ本公演「ハッカ」
— ちょろーる (@sola_rl) 2019年5月31日
公開ゲネと初日、楽しませて頂きました。ゲネプロ初体験。
トラブル無く進んだこともあって「本公演と何が違うん?」って印象だったけど、そのあとの初ステ観たらなんとなく分かった。なんとなく。
貴重な体験をありがとうございました!#ハッカ #ハダカハレンチ pic.twitter.com/lhgPPEsAst
こんな感じ。
ゲネプロに関しては、なんていうか、ゲネプロでやってみた結果を踏まえて、動きやら照明やら、修正すべきところを修正して本公演に持っていく。そういう微妙な変化を肌で味わうことが出来ました。
貴重な場をありがとうございました!
話を戻して。
もう終演してるしガンガンネタバレするけど、初っ端からド肝を抜かれましたね。
だって、幕が上がってすぐ、お婆さんが街中でポテト食ってたかと思えば聞こえてきた獣の咆哮に反応していきなり銃ぶっぱなすんやで?
翠「(バァンッ!)」
私「!!?なにごと!!?」
こうなるやろ。
とは言え、観劇をする上でこういうことはよくある。
伏線だったり、あとから思い返すと「こういうことだったのか〜!」みたいな。映画でもそうだよね。
まあ初見ですし、これがどういう意味を為しているんだろうかって先を観るのが楽しみになった。
こんなもんでしょ、初見って。
でもね、この「獣を撃つ」という行為自体が、全体を通しても抽象的な行動なんですわ。
そもそも「獣」がなんなのか。
それは一概には言えないと思う。人によっても違うだろうし。
例えば、ヤスヲにとってはそれが獣には見えなくても、母親である翠からしたら獣でしかない。
共に夢見る仲間であったり、想像(創造)したヤスヲの世界だったり。
そういうのを「獣」と称して表現するの、秀逸だなあって思いました。
また、それを壊して「現実」を象徴する存在が「母親」なのも良い。現実を突きつけてくるのも、愛ゆえというのが伝わってくる。これはお芝居から滲み出るものがそう思わせてくれたと思う。
それを男性が演じているのがなんかいい。なんか、しっくりくるんだよなあ。
この獣の下りから少しでも伝われば幸いなのですが、こう、全体的にふわっとしてるんですよね。
あと、台詞回しが早い。
あんまり他劇団の名前を出したくはないのだけれど、正直に述べると柿なんとかさんと似たスピード感を感じた。
似てるからとかそういう意味ではなく、単純にもっとのんびり進むと思っていたから、自分が予想していたスピード感とまるで違ったことに驚きました。勝手でごめんなさい。
こういう、目まぐるしく捲し立てるような台詞回し(会話のキャッチボール)は時として観客を置いてけぼりにするから、これは好みが分かれるところだなあと思う。私は好きです。
しかもその台詞がなんていうか、いちいち遠回りな言い方をする。それこそ文学的な言い回しで。
それでいて「もうおしまいだー!」「もうおしまいだー!」ってシンプルに同じ単語を何回も叫ぶだけの時もある。このバランスが非常に心地よかったのかもしれない。
あと完全なる主観だけど、この同一単語の羅列が多い台詞回しについて。
— ちょろーる (@sola_rl) 2019年5月31日
人(の感情)って、結局はベラベラと言葉に置き換えること出来ないんだよなあ。本当は一言で済むくらい単純でシンプルで、それでいて言葉に表せないくらい複雑なんだよなあ。という表裏一体な感じがとても好きでした。
まあ、つまりはコレですわ。
文学的な言い回しって、大概が言い得て妙な表現をしてると思うけど、回りくどいじゃないですか。笑
うんうんなんとなく分かるけど結局何が言いたいの!?・・・みたいな?そんな感じ?違うか?
あーもう「抽象的」以外に言葉が見付からない。
言葉も演出も抽象的なんだとしか言えない語彙力が本当にもどかしい!もどかしゃあ!もどかしゃらあー!
そう、演出もそう。
今観ているシーンは現実なのか?ヤスヲの想像の世界なのか?回想なのか?
そういう線引きが曖昧で、なにがなんだか分からなくなる。
今思えば、ラストのお母さんとのシーン以外は全て想像の世界だったんじゃないかなあ。現実だと感じるシーンもヤスヲの回想であって、確かに現実だけど現在じゃない。分かんないけど。もしかしたら現在進行形で進んでいた世界かもしれない。
ただ、私はそういうヤスヲの世界に飛び込んでいた気がします。なので、そういう意味でヤスヲの話だと感じました。
まあそれは単なる私の見解であって、確実に言えることは線引きが曖昧なシーン展開だったということ。
だから「よく分からん!」なんだけど、ハッカに限らず、作品に対する感想を述べる時。ましてやご本人方にも届くであろう距離感で「よく分からんかった!」って感想は失礼じゃないかって思ってた。今までずっと。
理解することが全てではないとはいえ、ねえ。
そんな意識から「分かんないけど」じゃなくて「上手く言えないけど」という言葉を多用していた気もする。
でも、ゲネプロ終わりの面会で。
「よく分かんなかったでしょ!笑」
って、言ってくれた。
これは推しにも言ってないんだけど、推しが“そっち側”からそう言ってくれた瞬間「あ、よく分かんなくてもいいんだ」って知った。許された気がした。
きっと、このタイミングで、この言葉がなければ、これらの感想を素直に噛み砕くことも出来なかっただろうし、うまく言葉に出来ない自分に対するモヤモヤを抱えたまま観劇を続けることになっていたと思う。
だから、ありがとう。
あー燃やしたい。
まあそんな訳で、なんかよく分かんないけどなんとなく好き。
そんな感情がじわじわ広がった。
ヤスヲくんだけじゃなく、周りの人にも共感して惹かれる部分がたくさんあった。 そしてヤスヲくんへの愛が溢れていた。
笑えるシーンもあったし、グサグサ刺さる台詞もあった。ヤスヲくんという存在がしんどくて愛おしかった。羨ましかった。
私がどうしてこんなにもヤスヲくんにしんどくなったのかを言葉にしたかったのだけれど、そんな自己満足まで辿り着くまでめちゃめちゃ長くなってしまったので一旦終わります。
受け取ったものをどう捉えるか、どう昇華するか。それは観客の自由であり、観客の特権だと思うので、また勝手に壁打ちしようと思う。
良かったら読んでね。
そしてここまで読んでくれてありがとう。
ヤスヲくーん!しーんどーいでーーーす!